読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

倒錯の果てにあるもの

文字 android nexus7 日々

画面を一回転させて頭からusbを生やしながら使えるようになって電池のことをきにしなくてよくなった。(これも一種の倒錯だ。)
当然目の前にはキーボードがあるし、こうなってくるとタッチが俄然鬱陶しい。

だってねえ、タッチするとスタンドが揺れるし。
ここまでくると脳みそもn7をandroidとしてじゃなくノートパソコンとして捉えてる感じがするんだよね。

ベッドの横に置いて現在文字を打っているわけなんだけど、本当に便利で嬉しい。
でもこれってある意味贅沢でもあり残念でもあり、って感じがする。
なぜって、満足にパソコンを使える環境だったらこれにそんなにありがたみも感じないと思うんだよね。
だからこそ僕にとってこいつは非常に満足のいく代物であるわけなんだけど。

そういうわけで、なんとか手持ちのものでマウスを使えないかと思ってarcにマウスアプリをいれてみたんだけど、携帯としてしかペアリングしてくれないのかうまくいかない。
これが出来たらすこぶる便利だったんだけどなあ。

こうなっちゃうとマウスを買いたくなっちゃう”タチ”なので、明日にでもbtマウスを買いに走ってしまうかもしれない。

さて、タイトルの倒錯。
もともとスマートに使うためにタッチに移行したのに、こうやって便利さを追求するうちにキーボードやマウスに回帰してしまうのがなんとなく逆説的で面白い。
目的意識が違うことを考えれば当然ではあるんだけど(出先で使うならキーボードは使えないし、キーボードが使えないなら文字入力はケイタイ打ちよりフリックの方が便利なのは自明だ)、それでも現在あるパソコンとしての形の歴史からくる完成度にはやはり目を見張るものがある。
このテンプレートがあるおかげでキーボードやマウスを思い付くし、選択肢としても実用できるものになってるからだ。
そして突き詰めていくと、タッチでしか操作出来ないのは”不便”なんだと、機能として切り捨てる対象に、今自身のなかで追いやられていることが、ある種新鮮で面白い。
物理キーがことごとく消えていくなかでこういう思考が生まれるのが面白いのだ。

いや、もちろん物理キーは至極面倒くさい。
arcではオンスクリーンキーは出しっぱなしで絶対に物理キーを押そうなんて思わないし、今さらケイタイ打ちに戻りたくもない。

そういう意味では、7インチタブレットの自分のなかでの立ち位置が見えてきたなという感じもある。
なぜかといえば、arcにマウスを繋げようなんて微塵も思わないからだ。
つまり、物理キーが消えていくarcは「スマートフォン」だし、物理キーを使いたくなるn7は「タブレット」だなーってこと。
でもn7だって始めはスマートフォンの延長、でかいスマートフォンとして買ったはずなんだよね。

タブレットっていうのはまだまだ浸透していない感がある。あくまで個人的な感想だけど。
その上で、この7インチタブレットスマートフォンの延長として使う見方もあれば、本格的にタブレットとして使うっていうのも十分可能だと思う。
そう思うと、やっぱりこのn7の7インチっていうサイズは絶妙だし、明確な目的をもって買わずとも利用法を見出だせる便利な機械だなーと、改めて感じる。

倒錯の果てに、僕のnexus7はスマートフォンからタブレットになってしまった。